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茂呂 史生 (もろ ふみお) Moro Fumio

僕は昭和53年10月に生まれました。

 

 

いたって平凡なサラリーマンの父と

いたって平凡な内職主婦の母との間に生まれた

次男坊です。

 

 

特段、小学校1年生の時に好きな女の子が

植木鉢を持ったまま転んでしまって

その子のことについて先生に

「ケガがなくて良かったね」と言ったことを

先生から、君は優しい子だと褒められたこと以外は

プロフィールに載せるような功績は

残すことなく高校生になるまで成長していきました。

 

 

あれはたしか、高校2年生の時だったと思います。

阪神淡路大震災があったのは。

 

 

どうして?と聞かれることもあるのですが、

わかりません。なんとなくそうしなければいけないと思った。

としか返事できないのですが、何かやらなければいけないという

想いで、神戸へボランティアに行きました。

 

 

高校2年生というと、丁度進学相談の時期でした。

ボランティアで経験したことは、僕の人生を

変えてしまいました。

 

 

僕は福祉の道へ進学しました。

 

今はもう母校がなくなってしまったのですが

当時、まったく迷うことなく福祉の道へ進んだことを

覚えています。

 

 

進学してしまったら、これまた平凡な成績で

平凡に、特に何かを目指すわけでもなく

月日が流れ、なんとなく福祉の業界へ

就職していきました。

 

 

数年働いたのちに、体を壊して仕事を辞めました。

 

 

次の仕事が見つかるまでということで

ヨーロッパ旅行に行きました。

 

 

ここでも人生の転機だったと思います。

 

日本に帰国して数日後に

9.11テロが起きました。

時差ボケで寝ていたところ

父親に起こされました。

 

とても現実とは思えませんでした。

というのは、偶然その時だっただけなのですが

芸術の国イタリアに行ったのが

きっかけだったかもしれません。

 

 

大好きだった映画の道を目指そうと思いました。

 

以前から、当時パソコンもほとんどわからないのに

映像ならMacだろう!と、なけなしのお金で

Macを購入したことを思い出します。

 

 

たしか、OS6とかだったと思います。

無我夢中に映像編集をしていたのを

覚えています。

 

 

でも、体を壊して仕事を辞めたので

なんとなく就職するのは嫌だなとか

ダメダメなことを考えていました。

 

 

で、本当に就職先を探すこともなく

パチンコ店でバイトをしながら

日銭で生活してました。

 

 

そして、冬を迎えました。

大好きなスノーボードをしに

新潟の友人の家に住み込みに行きました。

 

 

当然彼女に振られました。

 

 

そんなことはどうでもいいのですが。

 

約1年くらい自分を探す旅をしていました。

(とか言ってみるけどかっこよくないすね・・

ただのニートですw)

 

 

いよいよ生活費も尽きてきたなと

そんな生活をしていたので

東京に戻り仕事を探すことにしました。

1年間かけて僕がやりたいことを考えました。

 

映画が撮りたかった。

 

そう思いました。

なので、それからは映像関係の仕事の

面接を受けまくりました。

 

 

そして、落ちまくりました。

 

 

そりゃそうです。映像のえの字もない

僕の経歴で、僕を取りたい企業があるわけがないです。

 

で、拾ってもらったのがなんと博報堂の下請けの

会社でした。

 

神保町の今はなき本社ビルの中にある会社に

務めていました。

 

コネだったので、大きいキャンペーンの終了とともに

次を探す旅になりました。

(今思えば、思考が終わってたので継続できなかっただと理解しています。)

 

 

別の部署も紹介してもらい面接もしましたが

余裕で落ちましたね。

 

でも、やっぱり映像の仕事に就きたいという

想いは捨てきれず、面接を受けまくっていたところ

電通の下請けの電通テックの下請けの会社に

拾われました。

 

バリバリ映像制作の会社でした。

若かりし僕は盛り上がりまくりです。

 

命かけるくらいの仕事していましたね。

 

3日間スタジオ籠るとか余裕でした。

 

 

でも、商品撮影が主な仕事だったんですよ。

いや、偉そうなこと言えないんですよ。

 

 

やっと採用してもらえた会社ですからね。

でも、いつしか楽しくなくなってしまったんですね。

 

 

ほとんど家には帰れず、シャワーを浴びるだけみたない

生活していましたけど、その生活が嫌だったわけではなくて

やっぱり映画が撮りたかったんですよ。

 

 

でも、とても狭い門でした。

 

 

なので、いくら採用してもらったからと言って

本当にやりたいこととは少し違った

業種に就職してもダメだったってことですね。

めっちゃくちゃ止めていただきましたけど

退職しました。

 

 

もうそれからは、放心状態で

しばらくまたプラプラしていましたね。

 

またまた人生を探す旅ですよ(笑)

 

で、僕がプラプラしているのを聞きつけて

地元の人が仕事に誘ってくれました。

また福祉に返り咲きです。

 

でも、このときにどういうわけか

めっちゃくちゃ仕事が楽しくなったんですね。

福祉の仕事が。反発かな?

 

 

自分でも理由はわからないです。

もう、ものすごく仕事が好きになっていました。

 

で、仕事が大好きすぎて人から指示されるのとか

嫌になっちゃったんですよ。

僕の仕事は僕が考えたかった。

 

なので、独立しました。

 

偶然だったんですけどね。でも必然です。

 

僕がやったほうが絶対良くなることがいっぱいあるのに

指加えてるなんて出来なかったんですよ。

 

 

地域ごと僕が守ってやる!くらいに

真剣に思っていましたね。若いながらに。

 

あ、これは継続して今でも思ってるんですけどね(笑)

 

 

もうそれからは死ぬ気で働いていました。

気が付いたら今ですよ(笑)

 

 

それくらい遮二無二なってやってきました。

それで、ここ数年くらいですこし余裕も出てきたので

他にも色々と考え出したわけです。

 

 

インターネットを利用して何かできないかな?って

色々調べていたらネットビジネスを知りました。

 

 

ここでいうネットビジネスっていうのはinfo業界のことです。

衝撃でしたね。

 

今は、そこから3つの会社の経営に携わっています。

日々色々とトライ&エラーを繰り返していますので

そんな内容もアップしていけたらと思っていますよ。

 

といいますか、ここまで読んでいただいたあなたは

よっぽどの変態か、僕のファンになっちゃいましたね(笑)

ありがとうございます!

あなたのために、僕も頑張って行こうと思いますよ。

 

最後に僕のもっとうは

誰にでもできることを誰にもできないくらい続けていくことが成功の秘訣

です!よろしくお願いします♪

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